データベーススペシャリスト試験

私がテクニカルエンジニア(データベース)に合格した話

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私は2005年の春、テクニカルエンジニア(データベース)に合格しました。

この合格は、私の人生を大きく変えたと言っても過言ではありません。

これはそんな私の合格体験についてお話しようと思います。

当時の状況

試験勉強を始めた当時の私の状況は以下の通りです。

  • 経歴:入社4年目。やる気はあるけど知識・スキルのないSE。
  • 担当:某公共団体の新システムのデータベース設計担当
  • 保有資格:基本情報処理技術者
  • 勉強開始時は独身

未経験入社から4年目で、まだペーペーの状態で
COBOLの既存システムのカスタマイズ担当をやったり
あとは新プロジェクトで設計からテストまで一通り経験したり(なぜか本番稼働しなかった)
既存のVBの改修を行ったりしていて、常日頃「つまんねぇ」と思っていた日々でした。

まあ、今となっては、未経験に任せられる大きい仕事なんて
無いんですけどね。

そんな中、一大プロジェクトのデータベース担当として
配属することが決まりました。

正直言うと、「データベースって何やねん」という状態でした。

しかも、データベース担当として
お客さんからも業務の流れを聞いてデータベース設計をする、
開発チーム5チーム、50人くらい開発者とやりとりもする。

ただ、データベースの知識・経験は皆無。(SQLは少しわかる程度)

勉強を開始したきっかけ

このような状況のため、開発メンバーにはめちゃくちゃナメられてました。

「なんでこんなこともわからないの?」
「ちょっと話通じない」
「ふざけんなよ」
「俺の言ったとおりにやれよ」

まあ、こんなことを言われるわけですよ。

悔しい。。。
超悔しい。。。

そこで
・ナメられないようにしないといけない
・知識では負けない
・データベース担当として、正しい方向に導かなければならない
という思いから

「ここは一発、テクニカルエンジニア(データベース)に合格して見返してやる!」

この気持ちで勉強を開始しました。

当時の勉強法

当時はデータベースの知識がホントに無かったので
これは知識のインプットをやるべきだ、と考え
テキストを繰り返し読むことを行いました。

勉強法①:とにかくテキストを読みまくる

まずは知識のインプットが大事。
知識が無ければ戦えない。

そして、現在のようにiPadも無ければ移動中にWebを見る環境でもない。

そんな中、私が選んだのは、当時の上司に勧められた
TACの通信教育でした。

https://www.tac-school.co.jp/kouza_joho/joho_crs_db_challe.html

A4サイズで、何百ページってある結構重いテキストなのですが
主に通勤中(東京メトロ東西線の西船橋~東陽町間)で読んでました。
※わかる人にはわかると思いますが、この区間はめっちゃ混むのです💦

テキストは3周くらいしたかな。
会社に向かうときも、終電で眠いときにも

「負けてられねぇ」

この気持ちだけで、混雑した車内でテキスト持って読みまくってました。

テキストを読むことで、午前Ⅰ、午前Ⅱの知識は身に付いたと思います。

勉強法②:問題集を解きまくる

テキストを覚えたら、次はTACの通信教育にあった問題集を
ひたすら解きまくりました。

休日出勤時、会社のコピー機で問題をひたすらコピーして
土日にファミレスで解くということをやってました。

どこのファミレスかまでは言えないですが
奇跡的に、休日の昼飯~夜飯の間にガラガラなファミレスを見つけまして

14時にファミレスに行って、ミラノ風ドリアとタラコソースシシリー風とドリンクバーを頼んで
18時までひたすら解いてました。

その頃からですかね、ファミレスや喫茶店で勉強するようになったのは。

勉強法③:実務でSQLを覚えまくる

まあ、これは定番ですよね。
どうすればSQLを学べるか、というと
SQLに触れる時間が長ければよいわけで
データベース担当としてSQLをガンガン実行するポジションを有効活用して
めちゃくちゃ覚えました。

ここでの経験は、その後の仕事でもめちゃくちゃ役に立ちました。

勉強法④:雑誌を読む

もう休刊になってしまっていますが
翔泳社から「DB Magazine」という雑誌が発行されてまして
年間購読をしていました。

確か、テクニカルエンジニア(データベース)の試験に関する記事もあったと記憶していますが
その他にも、DB設計の記事やOracleの試験の記事、キャリアパスの記事、RDBの構造の記事と
データベースの詳細についてめちゃくちゃ有用な記事が掲載されていました。

ちなみに、あの三好先生のコラムに影響されて転職を決意したりもします。

さらにちなみに、はがき職人もやってましたw(PN.ダメ人間)
購読者が少ないからか、アンケートに答えると1年に2回くらいプレゼントがもらえました。

2004年春の試験は不合格

このように勉強を重ねて、2004年の春の試験に臨みました。

初回とはいえ、めちゃくちゃ勉強したから、手ごたえもあったし
これは合格した、と確信してました。

でも、結果は不合格でした。

確か、午後Ⅰで落ちてました。

これはさすがにショックでしたね。。。

それもあって、雑誌を事細かく読んで知見を溜めることに注力するのと
次の年に向けて、ひたすら午後Ⅰ午後Ⅱの問題を解きまくるようにしました。

2005年春の試験で無事合格

そして2005年、2回目の試験に臨みます。

手応えはあまり覚えていませんでした。

合格するのかな?まあワンチャンあるかな、くらいでした。

で、合格発表のときは覚えています。

自分の机で弁当を食べながら、IPAのサイトを見ていたら

受験番号があって

職場なのに、思わず

「よっしゃああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

と叫んだのを覚えています。

気持ちは中村武司のXムランです。

見たか俺をバカにしてきたヤツら!

見たか同期!

見たか俺をフッた同期!

そんな気持ちでいっぱいでした。

で、当時勤めていた会社は、情報処理試験の合格者を
全体朝礼にて表彰することをやっていて

まあ、私もステージに立つわけですよ。

そうしたら、私をフッた同期がもっとすごい資格に合格してて

うわぁ、追いつけねぇ、と凹みました。。。

【結論】負けたくない気持ちが人を成長させる

このことから、負けたくないという気持ち、反骨心が
人をこんなにも成長させるんだなぁ、ということに気が付きました。

また、この合格をきっかけに
ネットワークにも興味を持ったり、Oracle Masterにチャレンジしたり
三好先生に影響を受けて転職を決意したりすることに繋がりました。

今では、過去問道場があったり
Youtubeで解説動画が載ってたりと
情報を収集することが簡単になったりしていますが

DB Magazineが休刊になったり
昔ほどDB設計を意識しなくなる環境だったりとしていますが
以前はこんなことをして、手探りで工夫しながらやってたんだなぁと

この記事を書いていて、ふと懐かしくなりました。

この記事が皆様の何かの役に立てば幸いです。

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